スタッフ
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Performance 経歴/実績

経歴

長尾 聖生

長尾 聖生

 
1984年3月
東海大学教養学部芸術学科音楽学課程卒業(中学・高校音楽教員免許取得)
1984年4月
株式会社東海ビデオシステム(現、株式会社TVSnext)入社
3年間 CBCテレビのニュース部に出向(ビデオエンジニアとして取材活動等に従事)
1984年9月
作・編曲家・林雅諺氏に師事(作曲・編曲、以降上京後も師事)
1985年
名古屋芸術大学音楽科にて1年間聴講生(和声・対位法・作曲)として学ぶ
1986年
株式会社東海ビデオシステム退社、上京。フリーランス(撮影・音楽制作)
1987年
東京都公立校非常勤講師(音楽)。ビデオカメラマンと兼務。現在に至る(週2日程度)吹奏楽部の指導にも従事。指導校はコンクール金賞受賞も多い
1988年
株式会社共同テレビジョン勤務(契約ビデオカメラマン)。フジテレビの「ニュース」、「皇室ご一家」、「めざましテレビ」、「とくダネ」など情報番組の番組の撮影担当
(音楽家一例、バイオリニスト和波孝禧氏、さだまさし氏、マライア・キャリー、Xジャパン、他)
1993年
8月第33回東京都中学校中学校吹奏楽コンクールで品川区立鈴ヶ森中学校吹奏楽部が品川区で唯一の金賞受賞(指導・指揮長尾)。その様子は1994年3月フジテレビ「タイムアングル」で「先生はカメラマン」として取り上げられる
2005年7月
共同テレビジョン退社
2005年11月11日
株式会社オール・コレクト設立、代表取締役就任。
報道・情報・ドキュメンタリーなどのTV番組撮影、VP・CM撮影、オーケストラ、バンド、ミュージカル、教育ビデオなどのように音楽や教育に強いという特性を生かした映像制作を行う。YouTube動画や国内外の教科書副教材映像制作の他、ライブ配信なども行う。(実績の詳細は「実績 Works」参照。以下一部紹介)
2016年
平成28年度東京都広報コンクール「最優秀第一席」受賞 
戦後70周年特別番組「今聞いておきたい!あの日の記憶 壊滅した商店街と満蒙開拓団」 (品川区広報番組) 撮影担当
2017年
2017年全国広報コンクール「映像部門3席」「読売新聞社賞」受賞
2019年
8月4日東京都中学校吹奏楽コンクール(B組)において品川区立東海中学吹奏楽部金賞受賞(3金受賞。指導・指揮長尾)東海中に勤務したのが同年6月。撮影業務も行いながら、実質1か月を切った短時間指導でつかんだ金賞なので教育関係者・マスコミ関係者から「奇跡」と言われる
2019年
12月シャイン・オン・キッズ様の活動資金獲得のため、クラウドファンディング用PR動画制作・コンサルティング担当。当初目標の1,000万円の倍にあたる20,693,000円達成
2020~2021年
「ミャンマー音楽教科書映像副教材」の制作・音楽ディレクター担当。日本で音楽教育と映像制作に携わる唯一の制作者として関わる。2021年2月クーデター発生。3月に当初より縮小した教材で納品
平和を願う思いを込めてピアノ曲「心の中の精霊」 "Spirit of our Heart”を作曲し、YouTube動画作成
2022年11月
がんの人達に寄り添うNPOピュアスマイルスタジオを品川に設立。理事就任(理事長下澤純子)
2013年12月に中咽頭がんに罹患した経験をもとに社会貢献を考えて活動しています。長尾が担当のブログ「パパの、がんと仕事・子育て奮闘記」を連載中(毎週火曜日発行)
1961年8月13日
岐阜県郡上郡(当時)八幡町の実家にて誕生(当時祖父「八幡堂菓子舗」経営)、
愛知県西春日井郡(当時)豊山町の県営住宅で育つ
1966年4月
地元のヤマハ音楽教室にてオルガンを2年間学ぶ
1968年4月
愛知県西春日井郡豊山町豊山小学校入学(イチローの母校)
ヤマハ音楽教室にてピアノを学ぶ。野球も楽しむ
1971年8月
ピアノや学習塾で学びたかったが、新居を購入し4人兄妹という経済的な理由で断念。ピアノはNHK教育テレビ「ピアノのおけいこ」(井内澄子先生)で独学。井内先生の丁寧でやさしい「オンライン指導」で楽しく学ぶ。クラシックの他に、カーペンターズ、井上陽水に興味を持ち出す
1973年
生徒会長(前期)になる(6年)
私立滝中を目指して人生で一番勉強して成績が良かった時期。東海3件の外部統一テストで30番。校内オール5。
しかし兄妹が多く私立中は受験させてもらえなかった。
愛知県小学生陸上記録会に代表で出場ソフトバール投げで68mで1位
1974年3月
城東中学校入学
野球部がないためハンドボール部に入る
1974年10月
生徒会長(後期)になる(1年生で初)初めての校内の成績は学年13番。他の生徒は塾で過去問でテスト対策をして、私は塾に行っていなかった。教頭先生から小学校からの評判と比べると大したことないなと言われたことに反発が根源。
1976年5月
生徒会長(前期)になる(3年)
1976年8月
城東中ハンドボール部が初めて県大会出場(キーパー)
1977年4月
愛知県立犬山高等学校入学。ハンドボール部入部。及び軽音楽同窓会所属。同級生とバンドを組み文化祭や、地域のイベントに出演。ラグビーの試合で人数が足りない時参加。
犬山のヤマハ音楽教室にて1年間ピアノを習う。翌年から2年間名古屋音楽学校に通う(ソルフェージュ、理論、声楽)
1978年4月
名古屋音楽学校に通う(ソルフェージュ、聴音、理論、声楽など音大受験まで)兄妹が多いので親から浪人不可で公立大学のみ進学可能といわれる。公立の愛知教育大学の他に、同じピアノの課題曲で受験可能な私立大学1校だけ受験を承諾してもらう。大学はNHK「ピアノのおけいこ」の講師をされていた井上澄子先生の勤務する東海大学。生活費は自分で払うという条件
1978年8月
2年生の夏休み原付免許しかない中、友人の400ccバイクに乗り(数百メートル)その様子を警官が目撃し無免許で検挙
1978年9月
高校の文化祭でエレキギター使用禁止が決まる(騒音で近くの養鶏場の卵の生産性が下がったとの理由)
1978年10月
エレキギター使用禁止撤回を公約に生徒会長に立候補し、生徒会長当選(無免許で保護観察中の初の生徒会長。小中高で生徒会長4回も初)
1979年
公立大学受験の為の共通一次(5教科7科目)と、音大受験のピアノ(課題曲)、ソルフェージュなど受験勉強にいそしみむ。しかし受験生でありながら3年生の冬休みまで、学校に内緒で高校の仲間でバンドのライブを何度も行う。(ビートルズ、ディープパープル、レインボー、サザン、ツイストなど)
1980年4月
東海大学教養学部芸術学科音楽学課程入学
入学後、井内先生は大学院生のみの指導と知る。家庭教師のアルバイトを3つ掛け持ちして生活費を稼ぐ。勉強が苦手な人にやる気を出すための指導のバックボーンとなる
1984年3月
東海大学教養学部芸術学科音楽学課程卒業(中学・高校音楽教員免許取得)
1984年4月
株式会社東海ビデオシステム(現、株式会社TVSnext)に入社。
3 年間 CBC テレビのニュース部に出向、取材活動等に従事。ビデオエンジニア及びカメラマンの技術を学ぶ
1985年4月
ヤマハ東山にて作・編曲家の林雅諺氏に作曲・編曲師事(上京後もご指導いただく)
1986年4月
名古屋芸術大学音楽科にて1年間和声・対位法・作曲の聴講生として学ぶ。
1987年3月
株式会社東海ビデオシステム退社、上京。
1987年4月
フリーとしてVP、ビデオ制作、ブライダルなどの撮影担当。及びBGMなど音楽制作など担当。作・編曲家の林雅諺先生に師事(アレンジラボ東京)
1987年5月
東京都非常勤講師(音楽)に採用される。以降現在に至るまで東京都の公立校の非常勤講師を行う。(勤務日以外は、撮影業務を行う兼業。プロカメラマンと教師の2足のわらじを行う異色の経歴と言われる)
1988年
音楽の非常勤講師の他、吹奏楽部の指導も行う。吹奏楽指導力向上のため全国の有名指導者を尋ね自費で研究
1988年
株式会社共同テレビジョンの契約ビデオカメラマンとなる。フジテレビのニュース、皇室ご一家、めざましテレビ、とくダネなど情報番組の番組の撮影に従事(約16年間)。(音楽系としては盲目のバイオリニスト和波孝禧氏、さだまさし氏、マライア・キャリー、Xジャパン、他)
1993年8月
第33回東京都中学校中学校吹奏楽コンクールで品川区立鈴ヶ森中学校吹奏楽部が品川区で唯一の金賞受賞(指導・指揮長尾)。その様子は1994年3月フジテレビ「タイムアングル」で「先生はカメラマン」として取り上げられる。
2005年11月11日
株式会社オール・コレクトを設立、代表取締役就任。
BMWジャパン、JT等の研修ビデオ撮影。トヨタの各種イベント、テレビ番組撮影など
業務詳細は下記「撮影」「音楽制作」「音楽指導歴」「受賞歴」の項参照
2013年12月
中咽頭側壁がんに罹患。NTT五反田病院に入院。抗がん剤治療
2014年
1月 扁桃腺の切除手術。3月 がん研有明病院にて放射線治療開始。4月から仕事復帰
2015年1月
逆側の扁桃腺にがん再発、手術。(前回見つからなかった小さながんを切除)。その後再発なし。3月より仕事復帰。
2017年3月
撮影を担当した品川区の広報番組
戦後70周年特別番組「今聞いておきたい!あの日の記憶 壊滅した商店街と満蒙開拓団」(制作ケーブルテレビ品川)が平成28年度東京都広報コンクール 最優秀第一席。全国広報コンクール2017(平成29年) 読売新聞社賞(映像) 映像部門3席。撮影は一眼レフ動画とビデオカメラの併用
2017年以降
教科書副教材等の映像制作(撮影・編集)
2019年
6月 品川区立東海中学で3ヶ月の契約で全クラスの音楽授業開始(週3日)。
7月 学校より吹奏楽部指導とコンクールでの指揮を依頼される。
「3年連続金賞がかかっていますが、現状では指揮者がいない状態でコンクール出場できません。是非お願いします」とのこと。
8月4日 東京都中学校吹奏楽コンクール(B組)において品川区立東海中学吹奏楽部金賞受賞(3金受賞。指揮長尾)
実質1か月を切った短時間指導でつかんだ金賞なので教育関係者・保護者・マスコミ関係者から「奇跡」と言われる。
2020年12月~2021年3月
ミャンマー政府の教科書副教材作成にあたり現地音楽家指導・撮影ディレクション担当。2021年2月にクーデターが起こり、現地の音楽家の心情を察した納品物を作成
2021年8月
世界の紛争地で平和が訪れることを願ってピアノ曲「心の中の精霊」(作曲 長尾聖生)piano piece "Spirit of our Heart”の動画を発表。
https://youtu.be/MDSzy7fbtoM
2022年現在
当社の強みを生かして撮影・編集の仕事に誠意を持って取り組み、音楽指導においては生徒と良い関係を通してやる気を引き出す教育活動を行っている

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関わってきた仕事

弊社取締役 島村について

弊社取締役島村昌実は令和4年7月18日、心筋梗塞の発作を起こし入院加療中の処逝去しました。
ここに生前のご厚誼に深く感謝するとともに謹んでお知らせいたします。
島村は代表である長尾と30年近く前、島村がテレビ局のディレクター、長尾がカメラマンという立場で出会いました。
初めの仕事で仕事は勿論のこと、人間性や嗜好に至るまで気の合う仲間としてその後ずっと付き合って参りました。
島村は香港やニューヨークでの生活も長く、語学力に裏打ちされた先見性のある思考性には見るべきものが多くありました。
私が特許取得し、起業する際には、取締役としてまた良きアドバイザーとして、そして信頼できる友人として力になって貰いました。
語り尽くせぬ思い出が多いのですが、彼のことをずっと心に思いながらこれから会社発展の為に尽力していく所存です。
皆様どうぞこれからも宜しくお願い致します。 代表取締役 長尾聖生

経歴

島村 昌実

島村 昌実

青山学院大学経済学部経済学科卒業

大学在学中よりTV番組の制作に従事
1989年から都内TV番組制作プロダクションにて、紀行番組、情報バラエティー番組のAD(アシスタントディレクター)

1992年からディレクターとして報道番組を担当し、1993年に香港に渡る
経済番組の取材、編集、香港、タイ、マレーシア等からの生中継のプログラムディレクターを経て、1995年よりニューヨークに居住
現地にてプロダクションを設立し、TV番組の制作、イベント制作にとどまらず、黎明期のインターネットを中心に新規事業を展開

2000年に帰国後、米国系通信会社を経験し2003年からは国内通信会社にてIT系のマーケティング、コンサルティングを中心に活動中

2005年より株式会社オール・コレクトに参画

2022年7月18日 逝去(享年57歳)

関わってきた仕事

■演出

報道、情報系番組の演出、制作、プロデュース

■舞台演出

イベント制作、舞台演出

■海外現地法人設立、新規事業策定、運営

米国、香港における現地法人設立と事業運営

■ITコンサルティング

クラウドソリューションを中心としたITコンサルティング